リーマン・バラザーズのCEOディック・ファルドは、08年7月1日の時点で、「会社の先行きに対して全く懸念を持っていない」と強気で語っていた。彼の年俸は約200億円、ボーナスは40億円である。この手の会社は、儲かると皆で山分けし、いつでもさよならする人種が多い。企業も社員にも企業の社会的責任のない社風が漂っている。
リーマンのCEOはある経済誌で05年から07年までの3年間、尊敬される経営者のナンバーワンに選ばれている。倒産してもこのCEOのコメントはない。私はこの事件が起きるまでは、日本と米国での「尊敬されるという言葉の意味は同じ」と考えていたが、どうも違うことに気がついた。
米国では、金を貪欲に稼ぐ人を尊敬できる経営者というらしい。マイクロソフトのビルゲイツも尊敬される経営者に選ばれたが、これも巨万の富を稼いた。「リスペクト」の意味はいつからこんなくだらない意味になってしまったのだろうか。ビルゲイツは、稼げるだけ稼いで、マイクロスフトから退き、財団運営に注力する。それでも誰もビルゲイツの功績は認める。でも人物や、人格の高さが評価されているわけではない。
米国社会の一番の問題点は、カネを基準としてしか価値判断ができない社会文化がここ10数年ぐらいの金融経済中心時代に確立されたことである。国としての伝統と社会としての深みがないこともカネ中心社会にした。
今回のサブプライムローンの問題もここに原因がある。本来は、衣食住に関連する産業をベースとした実体経済に金融経済は準拠すべきなのに、金融だけが、産業と関係なく、大きくなりすぎその虚業の虚像に気がつかなかったのだ。




